間に合わせの止まり木

この憂いを貴方の慰みに

劣等感となりたいもの

あなたが後追いを辞めたのはいつだろうか。

私はいつも誰かの背を追って生きている。

だからふとした時に自分の上位互換が思い浮かぶ。彼ならどうするだろうか、彼女なら、私は。私は、私は……。

何者かになりたいと思っていた。多分それは今もそう思っていて、この情念に奮い立てられ私は不意に漠然とした恐怖を感じることがある。

 

詩が書ける友人がいる。彼は私の心を打つ詩を書く。彼は英語が堪能であり国際的に友人知人が多い。彼の親は経営者であり不自由なく暮らしている。彼はゲームがとても上手く、時折遊びでゲームをする自分が情けなくなることがある。

想像もできない背景があり努力があり少しの天運をもって彼は恵まれている。

そう、理解している。

理解はしていてもダメなときがある。クリエイターの道を諦めたときから彼と話すと胸騒ぎがすることがある。羨望を憧憬を彼へ向けてしまうことがある。

 

普通でいることにも相当な努力が必要で、それなりの普通な今後を私は勝ち取った。平凡で平穏でやっぱり少し平凡である。

それが心に刺さった小さな小さな棘として私の中にある。これから先も多分ずっと。

 

私はただ旋律のようになりたい。

私はただ空のようになりたい。

 

人が2人いれば比較が生まれる。

他人を見ると期待が生まれる。

これらが生まれると心を病む。

 

一人で自由に解放されたい。

でも一人は寂しい。

 

私はただ風のようになりたい。

私はただ海のようになりたい。

 

圧倒的な個として存在していたい。

父親の字を初めて見た話

先日、単身赴任の父から手紙が届いた。内容は内定祝いと簡素なものであった。が、手紙は電子メッセージとは異なる形を持つ。直筆であり、したためることその背景をありありと想像することができる。自分の字への誇りが脆弱な私は他人の文字を見ることが好きだ。友人、知人の書く字はなんとなく把握しているし見たら誰の字か分かる程度には関心があると思う。

しかし、私の記憶の中で父の字を見たのは、この手紙が初めてのことであった。

繊細な私と異なり大らかな性格の父。不安症な私の悩みを杞憂だと常々説いてくれた父の字は意外にもか細くて弱々しいものだった。ここまで体を表すことのないことも珍しい。そう思った。

幼少の頃より父には字は綺麗に書けと情けない字を書くなと言われてきた。それだけが悔いだとそう言っていた。

 

ずっとずっと忘れていたが、そんなことを思い出した。21年、あまり父のことを知らなかったと思う。知ろうとすらしなかったように思い、少し後悔をした。

 

眠れない或る夜、思い付きだが博多行きの飛行機を予約した。父に会いに行く。少し面映ゆく、暇つぶしのついでだと父には言ったが、電話口の父は痛く嬉しそうにしていたし、私に合わせて有給を取ってくれた。

また父の知らない一面を見た気がした。

 

こうして少しずつ、空隙を埋めていこう。今まだ幾許かだが大学卒業までに時間が残されていることに感謝した。コロナで不景気な世の中だが、オンラインでどこでも大学の講義が受けれることに感謝した。

丁寧に丁寧に、父への手紙をしたためながら現在の色々、過去のあれこれに感謝をした。

 

飛行機がズレなく飛ぶように、チケットを見つめながら晴天を願った。

いつか報われるために

後輩の女の子と話の流れで診断テストをする。
「約束の時間よりも先に着く?」
「大変なときに新しい仕事が舞い込んできたらどうする?」
「休日は一人で気ままに過ごしたい?」
はい、引き受ける、いいえ。淡々と答える。なんかこんなのやった気がするな、そんなことを考える。考える。
そしてふと、就職活動での適職診断だ、と思いつく。積極的だが周りに流されがち、夢を見るよりは現実派であまり挑戦的な性格ではない。波風を立てるのを嫌い調和を重んじる。
向いているのはインフラ業界や教育関連業界などと診断された気がする。
内定を得るまでの就活生は迷える子羊で、生まれたての子鹿のように足を震わせ、脱兎の如く臆病だ。根拠の薄弱なそんな診断も一縷の光明に見えていたものだった。
(最も、結果としてインフラ関連業界に入社予定なので強ち根拠が薄弱だとも言い難いかもしれないが)
本日、ふと文系の内定率が前年比10%ほど落ちている旨のニュースを目にした。コロナの影響にビクビクしていた就活期より明らかに他人事だった。

就活も受験も恋愛も一過性のマイブームと変わらない。当時は大変だったが過ぎてみれば何が辛かったのか思い出すのにさえ苦労する。
そうして頑張ったことも大変だったことも辛かったことも、その時感じたありとあらゆる熱も思いも冷たく固まってしまうから偶にこうして記録にしておこうと考えるのだ。

歌が歌えるのなら歌にしよう

絵が描けるのなら絵を描こう

それも出来ないからせめてこうして文字にしよう。
そうしてこれが、もしこれが、そっと誰かの目に映ることがあれば、この思いも報われたことになる。そう思いたい。

書くことについて思うこと

文章が好きだ。特に句読点の打ち方に拘りがある気がする。
少し前まで小説家になりたかった。世界を想像して文字にするというのは楽しかったし読んでくれた誰かが感想をくれるのが嬉しかった。急成長するブルーベリー、追っ手から逃げる金髪の少女、色彩豊かなキノコが繁茂する森、青い羊、湖面の月に石を投げる御呪い。閃きとは不思議なもので見たことないあれこれが頭から指へ、想像から文章になっていってとても楽しい。
書くことが好きだ。だからこんなものを書いてる。私事だが就職が決まった。書くことはきっと減っていく。好きならどちらもやればいいと言う人もいる。
それがそう上手く出来ないのも私事だ。

卒業まであと7ヶ月。毒にも薬にもならないこんな文章を、時に流されてしまわぬように、縋り付くように、綴る。

大好きな小説がある。冒頭はこう始まる。「どこにもいけないものがある」と。進路が決まった。私もどこにもいけなくなってしまった気がする。

ここではないどこかへ行きたい。それはどんなところだろうか。朝か昼か、夜なのか。四季はありますか、空は青いですか、太陽は一つですか。円には中心がありますか、ロックンロールは流れていますか。

意識が帰ってくる。奇怪な空想なんぞに頼らずとも現実だって面白い、そんな気はしてる。でも“現実”という言葉を思い浮かべるときに私は辟易としてしまう。言葉のパワーに抗いたい。


世界は楽しく広く面白い。

願いを込めてそんな言霊をここに残す。

夏と青春について:雑記

セミと鈴虫がどちらも鳴いているような夏の終わり。留まるところを知らない陽の光にジワリと滲む汗が不快感を煽る。今日、母がよく分からない理由で仕事を辞めた。社会を知らない学生である私には、その理由が子供の我儘のようにしか聞こえなかったが、更に歳を重ねると至極真っ当な理由だと思うのかもしれない。無論、思わないかもしれない。近況と言われればそんなところだ。


それ以外なんら変わることはない毎日。思い頭を引きずる朝、いい加減慣れ始めたモニタ越しの授業、直前になって急に嫌気が指すシフト。全部が予定調和。こうして夏も終わる。予め決められていたことのように夏は終わる。入道雲を見る機会が減る。そらの青さを忘れそうになる。青春は春の字を使うが、夏にこそ青春はあると思う。21歳、青春は直に終わる。なんなら終わっているかもしれない。次はなんだ。五行思想で言うなら朱夏か。朱夏、夏。また夏が来る。長い夏のように思う。始まる前はそんなものだ。夏にこそ青春はあるのだろうか。過酷な暑さの裏に迸るような喜と楽はあるだろうか。
分からない、未来のことは分からない。夏が好きで嫌いな私は何をどうしたいか分からない。
理想の夏という概念に取り憑かれている。

 

少し雨が降り始めた。ペトリコールの匂いを感じる。また少し、昔に懸想してしまう。
これから来るのは驟雨だろうか。
打たれる前には家に帰り着いてしまうだろう。それが嬉しいのか悲しいのか分からなくて少し笑った。