間に合わせの止まり木

この憂いを貴方の慰みに

夏と青春について:雑記

セミと鈴虫がどちらも鳴いているような夏の終わり。留まるところを知らない陽の光にジワリと滲む汗が不快感を煽る。今日、母がよく分からない理由で仕事を辞めた。社会を知らない学生である私には、その理由が子供の我儘のようにしか聞こえなかったが、更に歳を重ねると至極真っ当な理由だと思うのかもしれない。無論、思わないかもしれない。近況と言われればそんなところだ。


それ以外なんら変わることはない毎日。思い頭を引きずる朝、いい加減慣れ始めたモニタ越しの授業、直前になって急に嫌気が指すシフト。全部が予定調和。こうして夏も終わる。予め決められていたことのように夏は終わる。入道雲を見る機会が減る。そらの青さを忘れそうになる。青春は春の字を使うが、夏にこそ青春はあると思う。21歳、青春は直に終わる。なんなら終わっているかもしれない。次はなんだ。五行思想で言うなら朱夏か。朱夏、夏。また夏が来る。長い夏のように思う。始まる前はそんなものだ。夏にこそ青春はあるのだろうか。過酷な暑さの裏に迸るような喜と楽はあるだろうか。
分からない、未来のことは分からない。夏が好きで嫌いな私は何をどうしたいか分からない。
理想の夏という概念に取り憑かれている。

 

少し雨が降り始めた。ペトリコールの匂いを感じる。また少し、昔に懸想してしまう。
これから来るのは驟雨だろうか。
打たれる前には家に帰り着いてしまうだろう。それが嬉しいのか悲しいのか分からなくて少し笑った。