父親の字を初めて見た話
先日、単身赴任の父から手紙が届いた。内容は内定祝いと簡素なものであった。が、手紙は電子メッセージとは異なる形を持つ。直筆であり、したためることその背景をありありと想像することができる。自分の字への誇りが脆弱な私は他人の文字を見ることが好きだ。友人、知人の書く字はなんとなく把握しているし見たら誰の字か分かる程度には関心があると思う。
しかし、私の記憶の中で父の字を見たのは、この手紙が初めてのことであった。
繊細な私と異なり大らかな性格の父。不安症な私の悩みを杞憂だと常々説いてくれた父の字は意外にもか細くて弱々しいものだった。ここまで体を表すことのないことも珍しい。そう思った。
幼少の頃より父には字は綺麗に書けと情けない字を書くなと言われてきた。それだけが悔いだとそう言っていた。
ずっとずっと忘れていたが、そんなことを思い出した。21年、あまり父のことを知らなかったと思う。知ろうとすらしなかったように思い、少し後悔をした。
眠れない或る夜、思い付きだが博多行きの飛行機を予約した。父に会いに行く。少し面映ゆく、暇つぶしのついでだと父には言ったが、電話口の父は痛く嬉しそうにしていたし、私に合わせて有給を取ってくれた。
また父の知らない一面を見た気がした。
こうして少しずつ、空隙を埋めていこう。今まだ幾許かだが大学卒業までに時間が残されていることに感謝した。コロナで不景気な世の中だが、オンラインでどこでも大学の講義が受けれることに感謝した。
丁寧に丁寧に、父への手紙をしたためながら現在の色々、過去のあれこれに感謝をした。
飛行機がズレなく飛ぶように、チケットを見つめながら晴天を願った。