間に合わせの止まり木

この憂いを貴方の慰みに

劣等感となりたいもの

あなたが後追いを辞めたのはいつだろうか。

私はいつも誰かの背を追って生きている。

だからふとした時に自分の上位互換が思い浮かぶ。彼ならどうするだろうか、彼女なら、私は。私は、私は……。

何者かになりたいと思っていた。多分それは今もそう思っていて、この情念に奮い立てられ私は不意に漠然とした恐怖を感じることがある。

 

詩が書ける友人がいる。彼は私の心を打つ詩を書く。彼は英語が堪能であり国際的に友人知人が多い。彼の親は経営者であり不自由なく暮らしている。彼はゲームがとても上手く、時折遊びでゲームをする自分が情けなくなることがある。

想像もできない背景があり努力があり少しの天運をもって彼は恵まれている。

そう、理解している。

理解はしていてもダメなときがある。クリエイターの道を諦めたときから彼と話すと胸騒ぎがすることがある。羨望を憧憬を彼へ向けてしまうことがある。

 

普通でいることにも相当な努力が必要で、それなりの普通な今後を私は勝ち取った。平凡で平穏でやっぱり少し平凡である。

それが心に刺さった小さな小さな棘として私の中にある。これから先も多分ずっと。

 

私はただ旋律のようになりたい。

私はただ空のようになりたい。

 

人が2人いれば比較が生まれる。

他人を見ると期待が生まれる。

これらが生まれると心を病む。

 

一人で自由に解放されたい。

でも一人は寂しい。

 

私はただ風のようになりたい。

私はただ海のようになりたい。

 

圧倒的な個として存在していたい。