間に合わせの止まり木

この憂いを貴方の慰みに

書くことについて思うこと

文章が好きだ。特に句読点の打ち方に拘りがある気がする。
少し前まで小説家になりたかった。世界を想像して文字にするというのは楽しかったし読んでくれた誰かが感想をくれるのが嬉しかった。急成長するブルーベリー、追っ手から逃げる金髪の少女、色彩豊かなキノコが繁茂する森、青い羊、湖面の月に石を投げる御呪い。閃きとは不思議なもので見たことないあれこれが頭から指へ、想像から文章になっていってとても楽しい。
書くことが好きだ。だからこんなものを書いてる。私事だが就職が決まった。書くことはきっと減っていく。好きならどちらもやればいいと言う人もいる。
それがそう上手く出来ないのも私事だ。

卒業まであと7ヶ月。毒にも薬にもならないこんな文章を、時に流されてしまわぬように、縋り付くように、綴る。

大好きな小説がある。冒頭はこう始まる。「どこにもいけないものがある」と。進路が決まった。私もどこにもいけなくなってしまった気がする。

ここではないどこかへ行きたい。それはどんなところだろうか。朝か昼か、夜なのか。四季はありますか、空は青いですか、太陽は一つですか。円には中心がありますか、ロックンロールは流れていますか。

意識が帰ってくる。奇怪な空想なんぞに頼らずとも現実だって面白い、そんな気はしてる。でも“現実”という言葉を思い浮かべるときに私は辟易としてしまう。言葉のパワーに抗いたい。


世界は楽しく広く面白い。

願いを込めてそんな言霊をここに残す。